6冊目 別れる力
こんにちは、白です。
6冊目は伊集院静氏[別れる力]
古本屋さんで見つけたこの本。私は伊集院静さんはテレビで見たことあるくらいで、実際に本を読んだのは初めてでした。
2019年も終わろうとしておりますが、この一年は出会いと別れの繰り返しだったので、なんとなくタイトルに惹かれて買ったのです。それだけ。
この本はとても男性的です。
文章も内容も男性的。男らしい。だから共感出来ることは少なく、男性はこう感じるのかという感想が多い内容でした。
淡々と書かれる別れの話の中に、彼のあっさりとしているようで熱い想いが詰まった一冊でした。
男性に向けて書かれた文章も多かったので、読んでよかったー!とは、正直思わなかったのですが、18歳の頃にこの本に出会っていたら、もしかしたら私はもっと『別れ』というものを受け入れることが出来たのかもしれないな、と感じました。
伊集院さんの考え方はとてもシンプル。
好きと嫌いがはっきりしている。
それは、私に一番足りないことなのかもしれないなと感じました。ごちゃごちゃと、一つの出来事に対して他の事柄を入り混ぜて、言い訳のような言葉を並べてしまう。そしてそのせいで、私は様々な事を捨てられない、別れられない。
『別れる力』とは、物事をシンプルに受け入れることだと、そう思える本でした。
私が最初に経験した別れは4歳の時、父との別れでした。40歳という若さで亡くなった父。
あの頃の方が、私は別れを受け入れられたのでしょう。悲しかった記憶はもちろんあります。その後の集団生活で、自分の家庭が他と違うことを突きつけられることもありました。でも、私はそれを悲観することも呪うことも、ましてや何か他の出来事と入り混ぜて言い訳にすることもなかったのです。
子供時代の方がよっぽど強かったのではないか、と少し笑ってしまいます。
次の別れは18歳での母との別れ。
50歳という若さで亡くなった母。
この頃の私は存分に母の死を悲しめたのか、というとそんな事無かったのです。死を悲しむだけでいいのに、他の事をたくさん入り混ぜて、何かを呪って恨んで、悲観しておりました。そして更に悲しい事を増やしていきました。
『母が死んでしまった事が悲しい』
そんな当たり前の一つの気持ちをはっきりと意識出来たのはあれから10年以上もたってからでした。そして私は、その時に初めて母との別れを受け入れられたのです。
母が残したグランドピアノ。
受け継いだって持て余すだけのグランドピアノ。私は手放す事が出来なくて、生活を圧迫させてでも、傍に置くだけでなんとか自分のプライドを保っていたのでしょう。手放す事を決めたのも、不本意で、悲しくて、悔しくて、いつまでも自分を呪い続けました。物とすら上手に別れられなかったのです。
あーだこーだと、他の事と結びつけてしまうから。
そして最近、私は別れを一つ経験しました。
今回の別れは死別ではない。生きていればきっとまた、いつか笑って会えるような関係なのだと思うのです。それでも私は悲しんで、泣いて、少し後悔をしたりしているのです。そして、好きな人と別れた事が悲しい。それだけでいいのに、それ以外のことをごちゃごちゃと考えてしまい、更に深みにはまっていくのです。
伊集院さんのように、シンプルに別れを受け入れていけたらいい。そんな考え方に触れることが出来てよかった。まだ上手に出来ないけれど。
先日、昔一緒に働いていた方と会う機会がありました。当時は私が社員、彼はアルバイトという関係でしたが、もう50を超えて社会的にもちゃんとした地位のある方でした。何故アルバイトをしていたのか不明でしたが、面白そう、それだけの理由で採用した彼。ちょっと相談がしたくて久しぶりに会って頂きました。
そんな彼から言われた言葉がなんともタイムリー。
『当時から思ってたけど、真面目というか、考えすぎ!真面目っていうのは、悪い意味の方の真面目。もっとシンプルに考えなさい。過去に囚われすぎだな。君が憧れる女性、なりたい女性からは程遠い。』
ここまでハッキリ言われるとなんだかスッキリします。
好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。悲しいことは悲しい。楽しいことは楽しい。やりたいことはやりたい。やりたくないことはやらない。いちいち理由をこじつけない。そんなシンプルな生き方をするためにも、自分の気持ちをもっと知っていきたい。
そしてそれを表現できる人間になりたい。
そんなことを考えるきっかけをくれた本でした。