手紙
ママへ
こうやって手紙を書くのは初めてでしょうか。
もうすぐママが亡くなって、14回目の命日ですね。
命日にはお墓参りに行けなさそうだったので、少し早いですが日曜日に行きました。
並ぶ両親の名前と亡くなった年齢を見て、私はこのまま順調に生きれば、あなた方の年齢を超えてしまうかもしれないんだと、そんなことをぼんやりと考えていました。
そして私の年齢の頃のお二人のことを思うと、自分はなんて幼いのかと、恥ずかしくなります。
両親への手紙なんて結婚式に読むようなものなのでしょうが、私は結婚が出来る気がしませんし、出来たとしても、式で読む事はないと思うので、ここに書き残したいと思い筆を取りました。
18歳の私は幼くて、ママはママという生き物で、同じ一人の人間なのだということを理解しておりませんでした。
それ故に、きっとあなたを深く傷付けたり、悲しませたりしていたと思います。
母子家庭。
一般的にはそう呼ばれる家庭で過ごしていましたが、世間の思うような母子家庭ではなかったのは、ママと、祖父母、叔父叔母、姉兄と、周りに沢山の人がいた事と、父の残したものの大きさのお陰だったのだと思います。
今なら周りの大人の気持ち、努力を理解出来ますが、当時の私にとっての世界は(自分)しかなく、本当に自分勝手に振る舞う人間だったと思います。
そんな風に反省出来たとしても、もうママに伝えることも、当時の事を思い返して話すことも出来ないということが、今でも少し悲しいです。
大人になってから、話がしたかった。
だから、今の気持ちを手紙に残してみたくなりました。返事は無くても。
思えばママは、私のやりたいことや好きなことを見つけるのがとても上手でしたよね。
小学生の頃に買ってもらったおもちゃのカメラで、近所の野鳥を撮っていましたが、私は今、カメラの仕事をして、小鳥と暮らしています。
書道も九年間と通わせてもらっていましたが、今でも字を書くことが私の心の癒しです。
絵を描くための道具も色々買ってくれましたね。今でも私は、夜な夜な絵を描いて暮らしています。
ピアノも、下手くそだけど、たまに無性に弾きたくなります。
水球は危ないから辞めて欲しいなんて言いながら、文化祭には見に来てくれて、水着だって好きなものを買ってくれて、ちゃんと応援してくれてましたね。水球をやっていたからある繋がりや思い出が、私の高校時代の全てです。
小さなこども3人残して旦那が先立ち、自身も長生きは出来ない病気を抱えて生きていたママの苦悩は、私には想像も出来ないものだったのではないでしょうか。
そして、そんな病気であることを全く私達に気付かせずに、明るくて変なことばかり言うママでしたが、もしかしたら、私達に気付かれないように泣いている夜もあったのではないでしょうか。
何度かママに、再婚すればいいのにって言った事がありましたね。その度にママは、私が先に死んで他人と暮らすなんてあんた嫌でしょって言っていましたが、あれはきっと本心だったんですね。
パパが死んでからのママの人生は、全ての選択が私達のためだけだったのだろうなと思うと、本当に、胸が締め付けられます。
病気が悪化して、治療をするかしないか、となった時に、治療をしないことを選択したママ。
私は、早くパパに会いたいのだろうと、もう疲れたんだろうと思っていました。そして、それを悲しいと感じていました。
私は捨てられたような気持ちを持っていたのです。
その思いを何年も引きずって生きていました。
そしてママの闘病生活中に、私は姉兄と大きな溝を作り、ママの死後に、祖父母、叔父叔母に対して大きな壁を作りました。
まるで悲劇のヒロインのように、前を向かずに生きていました。
それが少しずつ変わっていったのは、兄の子が生まれて、姉の子が生まれてからです。
血の繋がりというのは本当にすごいもので、彼らのことがとても大切に感じました。
彼らに恥ずかしくない人間になりたいと考えるようになりました。
そして、叔母の立場になって初めて、自分の叔母の気持ちを想像できるようになりました。
両親を亡くした私に、深く関わってきた叔母。それが本当にうっとおしくて、距離を置いていましたが、私があの立場に立った時、彼らに何をしてあげられるのか。
そんな風に考えられるようになって、家族との溝を埋めていこうと、少しずつですが自分の行動を改めていた時に、叔母が話してくれたことがあります。
ママが治療をしないことを選択したのも、私達のためだったのですね。病気の親が長生きすることで、自由を奪いたくないなんて、そんな風に考えてくれていたのですね。
そう、結果私達は3人とも、本当に自由に生きています。何にも縛られていません。
その気持ちを知って、本当に愛されていたのだと知りました。
それでもやっぱり、生きてて欲しかった。
だって生きてないと、話せないからね。
煩わしいことだって沢山あったかもしれないけれど、大人になってから、ママと話がしたかったな。
そうそう、こんな年齢になってからですが、夢が出来ました。それも、ママの娘だから持てた夢だと思います。
今、世界は新型コロナウィルスのおかげで割とめちゃくちゃです。前進したような日常でしたが、すっかり停滞してしまっています。
焦る気持ちもあります。孤独感に負けそうになることもあります。不安もあります。
でも、あなたの娘ですから、きっと乗り越えていけると思います。
両親の強さを知ってからは、そんな気持ちを持てるようになりました。
たまにグダグタになりますし、またやらかした、ということをしてしまうこともあります。
それでも最後には前を向けるようになりました。
月並みですが、産んでくれてありがとう。
パパとママの娘でよかった、本当に。
私には実家はありませんが、2人のお墓の前に座ってあると、それがまるで実家にいるような気持ちになれることを知りました。
自分にも、帰る場所があるんだと、心のあたたまる場所があるのだと、気付きました。
お墓の場所もとてもいいよね。
あそこはとても気持ちがいい場所。
何から何まで敵わないです。
お二人のような親にはきっとなれません。
それでも、パパとママの娘であることは私の自信です。夢が叶った時は、夢の中でも会いに来てくれたら嬉しいです。
それでは。