大人の読書感想文。

30代独身女の読書感想文と頭の中。恋愛も仕事も中途半端な私が本を読みながら生き辛さと向き合います。

手紙

ママへ

 

こうやって手紙を書くのは初めてでしょうか。

もうすぐママが亡くなって、14回目の命日ですね。

命日にはお墓参りに行けなさそうだったので、少し早いですが日曜日に行きました。

並ぶ両親の名前と亡くなった年齢を見て、私はこのまま順調に生きれば、あなた方の年齢を超えてしまうかもしれないんだと、そんなことをぼんやりと考えていました。

そして私の年齢の頃のお二人のことを思うと、自分はなんて幼いのかと、恥ずかしくなります。

両親への手紙なんて結婚式に読むようなものなのでしょうが、私は結婚が出来る気がしませんし、出来たとしても、式で読む事はないと思うので、ここに書き残したいと思い筆を取りました。

 

18歳の私は幼くて、ママはママという生き物で、同じ一人の人間なのだということを理解しておりませんでした。

それ故に、きっとあなたを深く傷付けたり、悲しませたりしていたと思います。

 

母子家庭。

一般的にはそう呼ばれる家庭で過ごしていましたが、世間の思うような母子家庭ではなかったのは、ママと、祖父母、叔父叔母、姉兄と、周りに沢山の人がいた事と、父の残したものの大きさのお陰だったのだと思います。

今なら周りの大人の気持ち、努力を理解出来ますが、当時の私にとっての世界は(自分)しかなく、本当に自分勝手に振る舞う人間だったと思います。

そんな風に反省出来たとしても、もうママに伝えることも、当時の事を思い返して話すことも出来ないということが、今でも少し悲しいです。

大人になってから、話がしたかった。

だから、今の気持ちを手紙に残してみたくなりました。返事は無くても。

 

思えばママは、私のやりたいことや好きなことを見つけるのがとても上手でしたよね。

小学生の頃に買ってもらったおもちゃのカメラで、近所の野鳥を撮っていましたが、私は今、カメラの仕事をして、小鳥と暮らしています。

書道も九年間と通わせてもらっていましたが、今でも字を書くことが私の心の癒しです。

絵を描くための道具も色々買ってくれましたね。今でも私は、夜な夜な絵を描いて暮らしています。

ピアノも、下手くそだけど、たまに無性に弾きたくなります。

水球は危ないから辞めて欲しいなんて言いながら、文化祭には見に来てくれて、水着だって好きなものを買ってくれて、ちゃんと応援してくれてましたね。水球をやっていたからある繋がりや思い出が、私の高校時代の全てです。

 

 

小さなこども3人残して旦那が先立ち、自身も長生きは出来ない病気を抱えて生きていたママの苦悩は、私には想像も出来ないものだったのではないでしょうか。

そして、そんな病気であることを全く私達に気付かせずに、明るくて変なことばかり言うママでしたが、もしかしたら、私達に気付かれないように泣いている夜もあったのではないでしょうか。

 

何度かママに、再婚すればいいのにって言った事がありましたね。その度にママは、私が先に死んで他人と暮らすなんてあんた嫌でしょって言っていましたが、あれはきっと本心だったんですね。

パパが死んでからのママの人生は、全ての選択が私達のためだけだったのだろうなと思うと、本当に、胸が締め付けられます。

 

病気が悪化して、治療をするかしないか、となった時に、治療をしないことを選択したママ。

私は、早くパパに会いたいのだろうと、もう疲れたんだろうと思っていました。そして、それを悲しいと感じていました。

私は捨てられたような気持ちを持っていたのです。

その思いを何年も引きずって生きていました。

そしてママの闘病生活中に、私は姉兄と大きな溝を作り、ママの死後に、祖父母、叔父叔母に対して大きな壁を作りました。

まるで悲劇のヒロインのように、前を向かずに生きていました。

 

それが少しずつ変わっていったのは、兄の子が生まれて、姉の子が生まれてからです。

血の繋がりというのは本当にすごいもので、彼らのことがとても大切に感じました。

彼らに恥ずかしくない人間になりたいと考えるようになりました。

 

そして、叔母の立場になって初めて、自分の叔母の気持ちを想像できるようになりました。

両親を亡くした私に、深く関わってきた叔母。それが本当にうっとおしくて、距離を置いていましたが、私があの立場に立った時、彼らに何をしてあげられるのか。

 

そんな風に考えられるようになって、家族との溝を埋めていこうと、少しずつですが自分の行動を改めていた時に、叔母が話してくれたことがあります。

 

ママが治療をしないことを選択したのも、私達のためだったのですね。病気の親が長生きすることで、自由を奪いたくないなんて、そんな風に考えてくれていたのですね。

そう、結果私達は3人とも、本当に自由に生きています。何にも縛られていません。

その気持ちを知って、本当に愛されていたのだと知りました。

 

それでもやっぱり、生きてて欲しかった。

だって生きてないと、話せないからね。

煩わしいことだって沢山あったかもしれないけれど、大人になってから、ママと話がしたかったな。

 

そうそう、こんな年齢になってからですが、夢が出来ました。それも、ママの娘だから持てた夢だと思います。

今、世界は新型コロナウィルスのおかげで割とめちゃくちゃです。前進したような日常でしたが、すっかり停滞してしまっています。

焦る気持ちもあります。孤独感に負けそうになることもあります。不安もあります。

でも、あなたの娘ですから、きっと乗り越えていけると思います。

両親の強さを知ってからは、そんな気持ちを持てるようになりました。

たまにグダグタになりますし、またやらかした、ということをしてしまうこともあります。

それでも最後には前を向けるようになりました。

 

月並みですが、産んでくれてありがとう。

パパとママの娘でよかった、本当に。

 

私には実家はありませんが、2人のお墓の前に座ってあると、それがまるで実家にいるような気持ちになれることを知りました。

自分にも、帰る場所があるんだと、心のあたたまる場所があるのだと、気付きました。

お墓の場所もとてもいいよね。

あそこはとても気持ちがいい場所。

何から何まで敵わないです。

お二人のような親にはきっとなれません。

それでも、パパとママの娘であることは私の自信です。夢が叶った時は、夢の中でも会いに来てくれたら嬉しいです。

 

それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8冊目 30歳高卒タクシードライバーがゼロから英語をマスターした方法

こんにちは、白です。

今日は大変元気です!

だからブログも長くなりそうです。

 

なぜなら久しぶりに良い本に出会えたから!

…というと、まるで色んな本を読み漁っていたのに、良いと思える本と全然出会えなかった。というように聞こえてしまうかもしれません。

前回も書いたように、最近全く本を読まない人間になっていたので、今週は少し休みを作ってのんびりしつつ、本を読んでみました!そして大正解でした!やっぱり読書は人生を救います。

ありがとう、本を書いてくれる方々。

 

今回読んだ本はこれ!

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筆者の中山さんのここ数年の業績はとても華やかなもので、『英語おもてなしコンテスト』での優勝から始まり、その後も海外の経済雑誌からのインタビュー対応をしたり、あの有名なビジネス雑誌『PRESIDENT』ではタクシー業界を代表して英語学習法に関するインタビュー取材を受け掲載されたり。その他も英語スピーキングコンテストでは決勝トーナメントに進出するなど。

そして何が一番すごいって、ここまでの英語力を身に付けるのに要した時間はわずか4年というところ。

それまでの彼は高卒、フリーター。

そこからタクシー業界に入り、東京オリンピックに向けて英語を学ぼうという決意をしてから、どのような学習方をしたのか、どんなことで躓いたのか、どうやってモチベーションを保っていたのか、などが分かりやすく書いてあります。

難しい参考書こそ正義!と、自分のレベルに合わないものを読んで理解が出来ず、暫く英語学習を辞める、というくだりは自分と重なり楽しく読めました。

これだ!という本に出会ってまた学習に戻り、そこから広がっていく勉強法を丁寧に書いて下さっています。文中に紹介されている本もつい買ってしまいました。

これから英語を勉強しようかな、という人にはとてもおすすめな一冊でした。

読書後は晴れた気持ち、前向きな気持ち、ほどよい達成感に満たされます。読んで良かった一冊です。

 

そもそもなんでこの本を私が読んだのか。

英語を勉強しようかなって思ったんです。

唐突に。

いえ、唐突と言ってもちゃんと理由はある!

 

カメラマンで生きていこうと思ってから、どんなカメラマンとして生きたいのかをよく考えるようになりました。

何を考えてそこに行き着いたかを書き始めると話が脱線しまくるので今回はそこは割愛して。

報道、新聞の道を進みたいと決めて今はそのために生きているわけです。

運が良いのか、少しずつだけれども前に進んでいるので、決して叶わない夢では無いと思って生きておりますが、現実的になればなるほど、私の高卒コンプレックスが発動します。

最近の憂鬱はまさにここから。

 

以前私は失敗しているのです。

身の丈に合わない会社に入社し、周りに全くついていけず、高卒であることを散々に馬鹿にされ、結局何も出来ずに退職するという失敗を。

 

なぜあなたがうちの会社に?

 

ほんとに。ほんとにごめんなさい。

調子乗りました。高卒らしく生きていきます。

 

そんな卑屈な毎日を過ごしていた時期がありました。決して『高卒だから』ではなく、私が努力を怠ったから起きた出来事でしたが、また同じ過ちを犯したくないと思ったのです。

 

報道の業界だとカメラマンなんて腐るほどいるし、写真だけが撮れたからなんだって話で、何かもう一つ自信に繋がるものを勉強したいな、と考えた時に、英語だ!English!!と閃いたわけです。

 

そこでやはり目をつけたのはTOEIC

470目指して参考書を見に本屋さんに行ったところで、今回の本と出会ったのでした。

 

高卒、英語!

運命かな?

 

ネットで色々調べられるけれど、本屋さんに向かうとこういう出会いがあるから好きです。本屋さん。

 

 

 

ところで、良い本ってなんでしょうね?

読むタイミングや、その時々で変わってくるし、私にとっては良い!と思えるものでも、他人からするとそうでもない、という事態もある。

でもだからって、『人それぞれやからなぁ。』という私の嫌いな一言で終わらせたくない今日この頃です。

 

今回の本は、私にとって素晴らしくピッタリ合っていたけれど、もう英語がペラペラに喋れる方にとってはそんなに面白くないのかもしれません。

本の中でも、参考書だって合う合わないがあるということが書いてありました。

 

誰に読んで欲しいのか。

それがはっきりしている本は良い本なんじゃないかな、とぼんやり思いました。

 

私のブログは誰に読んで欲しいのでしょうか。

そこがはっきりしていないから

自己満足なんだろうなぁ、と思いました。

 

これも勉強。

 

めちゃくちゃだけど書いてみる。

2020年が始まっちゃったー

と思っていたら、あっという間に1月が終わってしまって、もう2月も半分以上が過ぎてしまいました。

ブログ書きたいな。やっぱり書きたくないな。

そんな毎日でした。

これ書くのもしんどい。

だって頭が回ってないんだもの。

きっとめちゃくちゃな文章になる。

でも、今日は頑張って書き上げてみる。

 

本、全く読めてないのです。

単純に忙しい。

 

でもそれだけじゃなかったって、気付きました。

私は少し今、病んでいる。

 

本が読めない時は大体自分の殻に閉じこもりたい時で、でもそんな時こそ本を読むと何かが始まったりするのに、とにかく本が読めない日常。

 

目標が出来ました。

でもその為にはお金が必要で

お金を稼ぐのに

今の私は時間を売るしか出来ないから

朝から朝まで働いて。

休みの日は何かをしていないと落ち着かないから

どこかに行っては写真を撮って。

少しでも何かに繋がる出会いがあるのならと

色々な人に会って。

立ち止まることが怖いから

真っ直ぐ前に進んでいるようで

全く進んでないのかも、と焦りながら

ポジティブな言葉をたくさん吐いて

前向きな気持ちを人に話して

私はきっと大丈夫と言い聞かせている。

 

だけどふと立ち止まって考えてみたら

ちょっと怖い考えがよぎりました。

 

私はまた、過去に向かって走っているのでは。

誰かを喜ばせたい、

それだけで道を選んでいるのでは。

だから今、ちょっと病んでいるのでは…。

ちょっと病んでるってことにすら

気付いていなかったけれど、最近の自分を振り返ると行動が病んでいる時の行動。

 

憧れは嫉妬に。

尊敬は焦りに。

 

 

だから多分、あんなに涙が出たんだろうなって。

人の言葉が痛いから、本が読めないのです。

うまく言葉が出ないんです。

キラキラしているものは薬にもなるし毒にもなる。

今は毒なのかもしれないな。

 

それでもやっぱり立ち止まりたくないから

進んだ道を信じるしかないから

今週はお休みの日を作って

本を読んでみようと思うんです。

そしてブログが書きたい。

もっと勉強しなくちゃいけない。

綺麗な言葉で、正しい日本語で、適切な言葉で

自分の思いを綴れるようになりたい。

 

何読もうかな。

イチロー選手の本が読みたいな。

 

 

 

 

鬱々としていた日々を。

こんにちは、白です。

2019年が終わります。

ブログをはじめて分かったことは

 

ブログを毎日書くということは難しい。

 

以上です。

ひと月も出来ず早速挫折しておりますが

それでも続けることだけはやめないようにしよう

そう決めた2019年。

2020年もよろしくお願いします。

 

今日は2019年を振り返りたいと思います。

文体も今日は変える。

ただの日記。

 

 

感情の振り幅が激しい一年だったな。

別れに始まり別れに終わる。

そんな一年だった。

そして自分を振り返る、そんな一年。

 

なんとなく生きていた自分。

それを見て見ぬふりして生きていた自分。

いや、そもそも

なんとなく生きてる人の方が多いよね?

 

なんとなく生きたかった。

色々あったけど

自発的に色々はしていないのです。

平々凡々。

努力はそこまでしたくない。

できれば楽して暮らしたい。

怠けたい。

危ない橋は渡りたくない。

誰かにくっついて生きてたい。

 

だから一人が怖かった。

だからいつも誰かを探してた。

誰かが私の人生を

充実させてくれるのを待っていた。

 

その考え方が

嫌だなって思うようになったのか

そんな毎日は訪れない事を理解したのか

それは分からないけれど

とりあえず今は

こんな毎日は嫌だなってこと。

 

人に依存して人に縋るってことをやめたい。

一人は寂しいけれど

今の私は多分、誰といても寂しいし

誰といても満たされないし

誰かを幸せにすることも

誰かを満たすことも出来ないのです。

 

それならば

やってみたかったことをやってみようと

自分で自分を満たしたいと

動きはじめた12月。

 

やばい、1年間何もしてない。

そんな焦りからとりあえず動いてみた。

動いてみたって言っても

やっぱり私は人を頼ってしまったけれど

おかげで一つ

大事なことを思い出せました。

 

私は写真を撮る事が好き!

もうすっかり忘れていた。

 

毎日毎日、年間どれだけシャッターを切ったか。

3年間。たかが3年間でも

私は毎日写真を撮っていた。

その人にとって大事な写真を撮っていた。

家族写真が好きだった。

ファインダー越しに見る家族というものが

私はとっても好きだった。

彼らの目が

緊張が解けるにつれて優しくなっていく

その空間を作る事がとても好きだった。

 

まるで自分もその家族の一員となったような

そんな気持ちになれて

孤独感が消えて、満たされる時間だった。

 

撮影後にはすっかり打ち解けて

写真を笑顔で選んで帰っていくお客様を見て

この仕事をしている自分が誇らしかった。

 

ライティングを学んで

構図を学んで

メイクを学んで。

いかに人を綺麗に可愛く撮影するか。

それがとっても楽しかった。

特にライティングは本当に楽しかった。

 

それなのに

だんだんと私は飽きていた。

緊張をなくしてしまったし

慣れてしまったし

自分の写真に満足するようになってしまっていた。

新しいことをはじめることも

面倒くさいと思うようになってしまっていた。

 

そんな中で思い出したのは

カメラをはじめたばかりの時のこと。

 

私が最初に趣味で撮影していたのは

少年野球の試合だった。

子供達の真剣な表情を

今よりずっと下手くそだけど

今より一生懸命撮影していた。

 

だからもう一度。

もっと色々な写真を撮ってみようと思った。

 

敷き詰めたスケジュールの中で

少年野球

バスケ

ライブ

この3つの写真を撮らせてもらえた。

 

どれも本当に難しくて

でもすごく楽しかった。

心から楽しいと思えた。

もっともっと撮りたくなった。

あの臨場感を伝えたいし

頑張る人の姿って

人に勇気とか、やる気とか、希望とか

色んな感情を与えると思うから

それを写真で伝えられたらって

そんな気持ちになれた。

 

撮る機会が無いなんて言ってたら

あっという間にまた一年がおわってしまいそう。

 

それを待っていたのが今までの私だから

そんな自分とお別れして

自分の足で撮る機会を探し回る。

それを続けているうちに

何かが始まるように。

 

30歳を超えて

やっと夢を見てる。

スタートは孤独だなぁ。

見苦しい程ひとりぼっち。

でも夢があることが

不安にもなるけど、希望にもなる。

不安に負けそうになる。

楽な道に行きたくなる。

出来ることだけを選びたくなる。

 

でも

きっとそんな気持ちと闘いながら

生き続けてる人に

少しでも近づけたらいいと思う。

 

生まれ変わったら

きっとまた会えるって信じたい。

 

2020年は

もっと自分の力で人生を充実させてたい。

 

義兄さんと語りながらの年越しは

意外と楽しかった。

普段はゆっくり話せない人と

ゆっくり話してみるのもいいね。

 

そして2019年。

私を支え続けてくれた相棒。

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私が泣いても喚いても、不貞寝をし続けても

いつもいつも隣にいてくれたこの鳥は

私がいなきゃ生きていけないから

もっと大切に出来る様に。

 

 

 

 

7冊目 出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと

こんにちは、白です。

7冊目のタイトルはとっても長い。

 

[出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと]

花田菜々子

 

今年の1月に本屋さんで見つけたこの本。タイトルに惹かれて即購入しました。全く本を読まなくなってしまっていた私が、改めて本を読もうとなったきっかけをくれた一冊でした。

内容はタイトルの通り。筆者である花田さんが出会い系サイトで実際に会った人達に本を勧めまくった一年間の話です。

 

 

花田さんが夫に別れを告げて、家出をするところから話は始まります。ヴィレッジヴァンガードの書店員として働いていましたが、仕事にも行き詰まり夫婦仲も上手くいかない、かといって他に何か充実したプライベートがあるわけでもない。そんな毎日を過ごしていた彼女。

そこで何か新しい世界に触れたいと始めたのが『出会い系X』

30分だけ会うという出会い系で、彼女は出会った人達に本を勧めまくります。様々な目的の人達との出会いを通して、彼女が自分と向き合う姿が描かれています。現実にあった話なので、素晴らしい人達に出会って何かを与えられて成長していく、なんてストーリーではないところがとても面白く読めます。

成長ではなく、自分との対話。自分の願望を見つけ、道を選んで人生を充実させる。それが結果成長に繋がってゆく。この話はとても勇気をもらえます。そして前向きになれる。

 

 

この本を読んだ時の私は6年間付き合っていた彼と別れを選んだばかりでした。一緒に暮らし同じ会社で働き、血の繋がった家族よりもよっぽど近くに居た人を失った。仕事に心底打ち込んでいた訳でもない。そして趣味も無ければ友達も少ない。

自分の人生は本当にくだらない。

そんな思いでいっぱいの時だったので、運命の出会いだったと思っています。

 

まずこの本を読んでから『出会い系X』を探しました。そして自分もそこで出会った人達の写真を撮ってみよう!と思いました。思っただけで、私はそれをしませんでした。だって怖いし面倒くさい。

彼女は自分の行動を、『荒っぽい手段でなければ、私の“傷"は癒えないという直感があったのです』と語っています。30年以上自分という人間を生きてきて、それを変えたいと思ったら、確かに普通にしていたら無理。

怖いし面倒くさい。そう言いながらも『変わりたい』と願っていた私は、誰かが私の生活を劇的に変えてくれるようなそんなことを願っていたのでしょう。だから私はいまだにここにいる。

 

読み終えてから数ヶ月。

私は何も変わりませんでした。

 

一人暮らしを始めました。

恋愛する相手が変わりました。

恋愛の内容も変わりました。

近くにいる人も変わりました。

よく出掛けるようになりました。

疎遠になっていた人達に会いました。

家族と過ごす時間が増えました。

 

それでも私自身は何も変わっていませんでした。

いや、もしかしたら少しは変わったのかもしれません。でも、私の望む変化ではありませんでした。本を読んですぐは、モチベーションが上がって何かを変えられる気になれたりします。でもそれは刹那的なもので、それを継続させることが難しいのです。そして継続させることが出来ない私は、何冊も何冊も本が増えていくのです。

 

やっぱり今のままは嫌だ。

 

突然襲いかかってくるネガティブな思考に押し潰されそうになりながら、私は改めてこの本を読みました。そして花田さんのインタビュー記事などを読み漁りました。

 

"憧れの対象は一つじゃなくていい

それこそ女性らしい。"

 

その言葉に、はっとしました。

 

私は自身で自分の理想を決めつけて、首を絞めていたのかもしれません。何がしたいのかは、まだ分かりません。でも、どうありたいか。それが少し見えた気がするんです。そのために出来ることはある。

 

"自分探し"

"私らしく"

 

そんな言葉が嫌いでした。

でも、今の私は自分を知りたいし、無理なく自分らしく生きたいと願っています。

 

花田さんのような行動は出来ていないけれど、この本を読んでやっと重い腰を上げたのです。

 

 

好きだけど、自分らしくいられなくなる。無理ばかりしてしまう。そんな恋愛から離れなくては。正直しんどい。会いたいし、別れる必要はなかったんじゃないかな、と思うこともあります。だけど自分らしくいるために、彼といることは今の私にはマイナスでしかない。元々は楽で楽しくて、一番自分らしく一緒に居られる人だったのに。そんな思いが頭をめぐる。思い出が邪魔をする。

だけど、ここで離れることが、きっと私のはじめの一歩なのだと思って断ち切ろうと決めました。随分と長いこと執着した関係でした。こんな気持ちは初めてでした。

 

 

生活のためにも仕事を続けるべき、絶対に辞めちゃいけない。今の仕事を家族も喜んでくれている。まだ三年。もっと今の場所でも出来ることがあるはずでは。周りのせいにしているだけでは…?今の私にとって最適な場所はここ以外ないはず。私はここにいるのが最適な人間。ここで出来ることをまだ全力でやりきってなんていないはず。

 

…でも辞めたい。ここにいたくない。

もっと違う世界にいきたい。

 

辞めたい、という気持ちは悪いものだと思ってなんとか押し殺していた自分。どうせ出来ない、と決めつけていた自分。何かを始めることに、壮大な理由がないといけない思っていた自分。それを理由に何も行動していなかったと気付かされました。

 

もう2019年が終わってしまう。

終わってしまう前に、またこの本を読み直して、せめてこれだけは!という行動が起こせたことはよかったと思いました。

私にとっても少々荒っぽい手段。

花田さんのように一人で動けるような力はなくて、結局人に頼ってしまいました。

でも、助けて欲しい協力してほしいと声をかけた時に、白ちゃんが頑張りたいなら手伝うよって言ってくれた人がいたってことは、今までの人生だって捨てたもんじゃないし、昔の自分だって頑張って生きてたじゃないか。そんな風にも思えました。

お陰で年末はちょっと忙しいけれど、頑張ってみたいと思いました。

 

クリスマスはインコと二人。

年越しはインコと二人。

お正月は一人旅。

 

こんな年末年始も素敵な気がするんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6冊目 別れる力

こんにちは、白です。

 

6冊目は伊集院静氏[別れる力]

古本屋さんで見つけたこの本。私は伊集院静さんはテレビで見たことあるくらいで、実際に本を読んだのは初めてでした。

2019年も終わろうとしておりますが、この一年は出会いと別れの繰り返しだったので、なんとなくタイトルに惹かれて買ったのです。それだけ。

この本はとても男性的です。

文章も内容も男性的。男らしい。だから共感出来ることは少なく、男性はこう感じるのかという感想が多い内容でした。

淡々と書かれる別れの話の中に、彼のあっさりとしているようで熱い想いが詰まった一冊でした。

男性に向けて書かれた文章も多かったので、読んでよかったー!とは、正直思わなかったのですが、18歳の頃にこの本に出会っていたら、もしかしたら私はもっと『別れ』というものを受け入れることが出来たのかもしれないな、と感じました。

 

伊集院さんの考え方はとてもシンプル。

好きと嫌いがはっきりしている。

 

それは、私に一番足りないことなのかもしれないなと感じました。ごちゃごちゃと、一つの出来事に対して他の事柄を入り混ぜて、言い訳のような言葉を並べてしまう。そしてそのせいで、私は様々な事を捨てられない、別れられない。

 

『別れる力』とは、物事をシンプルに受け入れることだと、そう思える本でした。

 

私が最初に経験した別れは4歳の時、父との別れでした。40歳という若さで亡くなった父。

 

あの頃の方が、私は別れを受け入れられたのでしょう。悲しかった記憶はもちろんあります。その後の集団生活で、自分の家庭が他と違うことを突きつけられることもありました。でも、私はそれを悲観することも呪うことも、ましてや何か他の出来事と入り混ぜて言い訳にすることもなかったのです。

子供時代の方がよっぽど強かったのではないか、と少し笑ってしまいます。

 

次の別れは18歳での母との別れ。

50歳という若さで亡くなった母。

 

この頃の私は存分に母の死を悲しめたのか、というとそんな事無かったのです。死を悲しむだけでいいのに、他の事をたくさん入り混ぜて、何かを呪って恨んで、悲観しておりました。そして更に悲しい事を増やしていきました。

『母が死んでしまった事が悲しい』

そんな当たり前の一つの気持ちをはっきりと意識出来たのはあれから10年以上もたってからでした。そして私は、その時に初めて母との別れを受け入れられたのです。

 

母が残したグランドピアノ。

受け継いだって持て余すだけのグランドピアノ。私は手放す事が出来なくて、生活を圧迫させてでも、傍に置くだけでなんとか自分のプライドを保っていたのでしょう。手放す事を決めたのも、不本意で、悲しくて、悔しくて、いつまでも自分を呪い続けました。物とすら上手に別れられなかったのです。

 

あーだこーだと、他の事と結びつけてしまうから。

 

そして最近、私は別れを一つ経験しました。

今回の別れは死別ではない。生きていればきっとまた、いつか笑って会えるような関係なのだと思うのです。それでも私は悲しんで、泣いて、少し後悔をしたりしているのです。そして、好きな人と別れた事が悲しい。それだけでいいのに、それ以外のことをごちゃごちゃと考えてしまい、更に深みにはまっていくのです。

 

伊集院さんのように、シンプルに別れを受け入れていけたらいい。そんな考え方に触れることが出来てよかった。まだ上手に出来ないけれど。

 

 

先日、昔一緒に働いていた方と会う機会がありました。当時は私が社員、彼はアルバイトという関係でしたが、もう50を超えて社会的にもちゃんとした地位のある方でした。何故アルバイトをしていたのか不明でしたが、面白そう、それだけの理由で採用した彼。ちょっと相談がしたくて久しぶりに会って頂きました。

 

そんな彼から言われた言葉がなんともタイムリー。

 

『当時から思ってたけど、真面目というか、考えすぎ!真面目っていうのは、悪い意味の方の真面目。もっとシンプルに考えなさい。過去に囚われすぎだな。君が憧れる女性、なりたい女性からは程遠い。』

 

ここまでハッキリ言われるとなんだかスッキリします。

 

好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。悲しいことは悲しい。楽しいことは楽しい。やりたいことはやりたい。やりたくないことはやらない。いちいち理由をこじつけない。そんなシンプルな生き方をするためにも、自分の気持ちをもっと知っていきたい。

そしてそれを表現できる人間になりたい。

 

そんなことを考えるきっかけをくれた本でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5冊目 星の王子さま

こんにちは、白です。

今日は大好きな本の感想文です。

今回は感想文というよりも紹介に近い内容になってしまいました。

 

[星の王子さま]サンテグジュペリ

 

この有名な物語、実はちゃんと読んだことがないという人が多いのではないでしょうか。私も、初めて読んだのは20歳を超えてからでした。薄い絵本のものから、しっかりとしたハードカバーのもの、漫画になっているものと、様々な形で出版されていますが、私が一番大切に読んでいるのはこの形です。

 

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写真が暗くてすみません。

 

作者のサンテグジュペリはフランスの作家。作家であり、パイロットでありました。この作品は1943年にアメリカで出版されました。児童文学というイメージが強いであろうこの本ですが、かつて子どもだった大人達へ、という大人へのメッセージが多く含まれたものとなっています。

なので、子どもに読ませたい一冊でありながらも、大人になってからも読み続けたい物語です。

 

1935年、作者が35歳の頃に彼はリビア砂漠にて飛行機の墜落事故を体験しており、それがこの物語の元になっています。物語は『ぼく』の飛行機の墜落事故から始まるのです。

そこで出会った不思議な男の子が、星の王子さまです。

 

砂漠に墜落、水も数日分しかない、修理も自分でしなくてはいけない。『ぼく』はそんな極限状態でありながら、王子さまはそんなこと気にもせず、自分の話したい話を続けます。その会話は全く噛み合っていない、それでもどこか聞いたことのあるような、こどもと大人の会話でした。

 

『ぼく』が大人として、王子さまの話を聞き流すようなことをしてしまったら、この物語は何も生まれなかった。でもそんな風景が、きっと世の中には沢山あるように思います。耳を傾けて、王子さまの話を聞いていくうちに、『ぼく』は王子さまを愛おしく感じ、王子さまの物語を知ることになるのです。

 

王子さまの星には一輪のバラがいました。

彼女の世話を甲斐甲斐しくする王子さまですが、彼女はとてもワガママで見栄っ張りです。そしてとても美しかった。王子さまを困らせるバラに対して、苛立つようになる王子さま。そして王子さまは、バラをおいて星を出ていきます。

 

別れになればお互いが少し素直になる。

悲しむ2人はそれでも別れを選びます。

 

そこから王子さまは旅をします。

ゆく星々で様々な人に出会います。

 

威厳のある王様。

うぬぼれ男。

酒飲み。

ビジネスマン。

点灯夫。

地理学者。

 

それぞれのキャラクターは大人の特徴を凝縮して誇張した、憎めない愛すべき大人たちです。

私は王様と酒飲みが好きです。多分、私と一番近いものを感じたからだと思います。(お酒は飲まないけれど。)自分はどの大人かな、あの人は?なんて思いながら読むも楽しいです。

 

そして最後にたどり着いたのが、上記の大人たちが何人も集まっている地球でした。

 

王子さまは旅の途中、薔薇園にたどり着きます。そこで自分のバラが、唯一の特別なものなんかではなく、その他にもこんなにたくさんいる、ただのバラだったことを知り、悲しい気持ちになります。

 

そしてその後にキツネと出会い、友達になり(物語の中でキツネは"飼い慣らす"という言葉を使います)絆を作る事で、たくさん同じものがいたとしても、特別な存在になっていくということを学びます。

王子さまは改めて薔薇園に向かい、薔薇を見て思います。王子さまの星のバラは、薔薇園のバラとは全く違うものだと気付くのです。

 

肝心なことは目に見えない。

バラのために費やした時間の分だけ、大事になる。

飼い慣らしたものには責任がある。

 

それをキツネは王子さまに教えてくれました。

 

 

ラストは是非読んでみて欲しいのです。

『ぼく』は王子さまと別れ、無事帰還します。

そして王子さまの星のことを思います。

決して大人には話さない物語として。

王子さまとバラは再会出来たのでしょうか。

 

 

この物語は何度読んでも胸がきゅっとなります。

子どもの真っ直ぐな思いを、かつて子どもだったことのあるはずだった私達は、もう思い出せないのかもしれません。

 

バラのワガママな素振りは、作者の奥さんがモデルだったと言われていますが、そう考えるとなんて深い愛なんだと羨ましくも思います。

 

上手くいかない恋愛を続けている私ですが、彼に費やした時間は無駄だったのか、とかそんな気持ちも少しだけ薄れます。

…いや、濃くなる気もします。

 

それは私が大人になってしまった証拠なのかな。

 

肝心なものは目に見えない。

それを忘れてしまった大人たちに向けたこの物語を、私はまだ子どもなあの子達にも読んで欲しいと思います。そしてどう感じたのかを、こどもの言葉で聞きたいです。

 

決して邪魔はしないから、ゆっくり話して欲しい。

 

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