大人の読書感想文。

30代独身女の読書感想文と頭の中。恋愛も仕事も中途半端な私が本を読みながら生き辛さと向き合います。

1曲目 スーパースター 東京事変

こんばんは。白です。

読書感想文と言いながら

私は音楽も好きなので

歌詞についても徒然なるままに

書きたくなったので

書きたいことを書こうと思います。

 

音楽を聴く時に

メロディで好きになるか

歌詞で好きになるか

 

私はどちらかというと歌詞派です。

でも、イントロで好きだと思えば

歌詞も好きになるということもあるので…

 

難しい問題です。笑

ここは長くなりそうなので

いつかまとめて書きたいと思います。

 

 

一曲目は

東京事変[スーパースター]

何故かと言えば

前記事のラブレターの相手のことを

思う存分に書きたいからです。

それだけなのです。

 

もちろんこの歌詞が大好きだから

というのが大前提です。

 

この曲は

椎名林檎さんがイチロー選手に向けた歌

ということは有名だと思います。

 

 

 

『未来は知らん顔さ

自分で創っていく

 

 

もしも逢えたとして

喜べないよ

か弱い今日の私では

これでは未だ

嫌だ

 

 

明日はあなたを燃やす炎に

向き合うこゝろが欲しいよ
もしも逢えたときは誇れる様に』

 

 

 

この歌詞が大好きです。

 

椎名林檎さんの

かすれた声

絞り出すような声でこの歌を聴くと

胸がキュッとなります。

 

『か弱い』という言葉のイメージは

可愛らしいものです。

自分自身を『か弱い』なんて言えば

何言ってんだお前は!

と、言われてしまいそうな言葉なのに

彼女が言う『か弱い』は

可愛らしいものなんかではなく

自分自身の弱さを

弱い、よりも更に弱く表現しながらも

強さも感じるように聞こえます。

 

椎名林檎さんの歌詞は

自身を下卑るようで

決して失わない誇りを感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼との出会いは何年前でしょうか。

私がまだまだ若くてピチピチしていた頃。

 

私は風俗嬢でした。

そして彼はお客さんでした。

 

ラブホテルに呼ばれて

たまたま出会っただけの

お客さんでした。

 

SMの部屋に

年齢に似合わない明るい色の髪の毛と

伸ばした髭に眼鏡。

 

ハズレだなぁ。と思いました。

めんどくさそうだなぁ。と。

 

でも、話をすると

慣れない仕草と優しい笑顔に

どこか安心感を覚えました。

 

SMしたいの?

という私の問いに

笑いながら

たまたま!

たまたまこんな部屋だったの!

と笑いながら答える姿が

可愛いと感じました。

 

何故か後ろではアニメが流れていて

ちょうど、

あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない

のエンディングでした。

 

そのせいで私は

secret base~君がくれたもの~

を聴くたびに彼を思い出す羽目に。

 

でも、そんななんでもない

よくある瞬間なのに

いつまでも忘れられない光景になったほど

彼との出会いと時間は

私にとって大きなものになっていきます。

 

そして90分の疑似恋愛の時間が終わり

帰りの車の中

私はふと、今まで感じた事のない

不思議な感覚に襲われます。

 

また会いたい

 

そう思いました。

 

お客さんにそんな気持ちになったのは

初めてでした。

 

だからと言って

私には彼とまた会う方法がなかったので

こんなこともあるんだな、と

そっと心にしまうことにしました。

ただの一目惚れとして

思い出にすることにしました。

 

それから何ヶ月か

どれほど時間がたったかは覚えていませんが

同じホテルに同じ名前で

本指名で呼ばれた時には

どうしようもない高揚感に包まれて

彼の待つ部屋に行きました。

 

風俗嬢の自分の連絡先なんて

受け取ってもらえるか分からないし

受け取ってもらえたとしても

連絡をくれるか分からない。

 

そして、連絡を取り合えたとしても

『一人の人間として』

関わってもらえる訳はないと

そんなことを思いながら

彼に連絡先を伝えました。

 

そこから彼との関係が始まりました。

 

彼は音楽人で

私は彼にギターを教えてもらいました。

好きだと伝えても

恋人にはなれなかったけれど

ちゃんと

人間として関わってくれたことに

深く感謝をしました。

 

たくさん会ったわけではないし

すごく近しい人ではなかったけれど

彼と話せたことで

無気力だった自分に

前向きな心が芽生えたのです。

 

人は

出会う人で人生が大きく変わる。

 

そんな実感を

最初にくれたのが彼でした。

 

縁が切れた訳ではないけれど

彼との縁は薄れていき

それから私は就職をして

責任のある立場になりました。

どこかいつも心に彼がいながら

前を向いて生きるようになりました。

 

彼の言葉に励まされた訳ではなく

彼に何かしてもらった訳ではなく

夢を追い続ける

努力をし続ける彼の生き方に、姿に

私は励まされていました。

 

まさに

私にとっては

テレビの中のスーパースターのような

そんな存在だったのです。

 

たくさん話したり

近くで笑い合うことは望めなくても

彼の生きる姿を見ていたい。

 

そしてまた

自分が少し成長した時

新しいことに挑戦したくなった時

彼のステージを見に行きたいと

思うのです。

 

そして逢えた時に

自分自身を誇れるように生きることが

私の原動力の1つになりました。

 

今年のはじめに

私の人生において

大きな出来事がひとつありました。

 

何十年も苦しんだ

呪縛から解き放たれて

自分自身を見つめ直すきっかけがありました。

 

その時も

彼のステージが見たくて

私はこっそりと見に行きました。

 

こっそり行ったのに

ライブハウスの近くを歩いていたら

バッタリと彼と再会し

運命なんて感じてしまいました。

 

ライブを見れば

彼の生き方が近くで見られた気持ちになって

私は少し泣きながら

また頑張って生きようと思えるのです。

 

そして昨日も

ライブハウスから出ようと扉に手を伸ばしたら

彼がちょうど扉を開けて

ライブハウスに入るところでした。

 

また、運命を感じてしまう

愚かな私です。

 

笑って話が出来ました。

手紙も受け取ってもらえました。

最後は手を伸ばしてくれました。

握手をして

お互い頑張ろうと

笑顔でお別れが出来ました。

 

昔、彼が一度手紙をくれたことがありました。

本当に奇跡のような出来事でしたが

私と彼は一緒に働く期間が一年程ありました。

彼の退職の時に

私は手紙を書いて欲しいと頼みました。

彼は書いてくれました。

その時の手紙は

私への激励のメッセージと

出会えたことへの感謝

そして、

彼の夢に向かって生きる

強い言葉でした。

 

とても優しい手紙をくれたのです。

 

だから私も

昨日はラブレターなどと書きましたが

好きだというような言葉は一切書かずに

 

彼の生き方への憧れの気持ち

尊敬の気持ち

自身の夢に向かう心と決意

そして

出会えたことへの感謝を

書き綴りました。

 

一緒にいることだけが恋愛ではないし

幸せではない。

自分の生き方や姿勢が

誰かの励みになるような

そんな風に生きたいと思います。

 

今はただ

ひたすらに憧れるだけの自分。

いつかは誰かの

憧れになれるように

日々を過ごすこと。

 

スーパースターを聴いていると

そんな気持ちになれるのです。

 

f:id:shironophoto:20191204173515j:image

 

 

2冊目 手紙

こんばんは。

白です。

 

2冊目の読書感想文は

東野圭吾さんの

[手紙]です。

 

映像化もされているので

知ってる人が多い本だと思います。

 

なぜ2冊目が[手紙]なのかは

昨夜、私が手紙を書いたからです。

 

本当に久しぶりに

ラブレターを書きました。

三十路のラブレターなんて痛々しいことを

深夜のテンションで書き上げました。

 

手紙は書き出しが1番難しい。

お元気ですか。もおかしいし、こんばんは。も

よそよそしい。

そして自分の年齢を考えると…

恥ずかしい手紙は書けない!

と、改めて手紙の書き方から勉強しはじめました。

 

拝啓、前略、季節の挨拶…

あまりに無知な自分を恥じました。

 

手紙はあたたかいものです。

もらった人間がどう感じるか、よりも

書いている人間が救われるような

そんな歪なあたたかさ。

だいたいの手紙は自己満足なのかもしれません。

 

私が昨夜に書き上げたラブレターは

自己満足の極みでしょう。

相手不在の気持ちの押し付け。

 

でも、

私が昨夜、彼を思って手紙を書いた時間は

心が満たされて、幸せで、

彼に改めて感謝する

そんな時間でした。

 

そして彼がこの手紙を読んだ時に

どんな思いになるのかは

私には知る術がないのでした。

 

 

 

ここから本の話です。

 

このお話は

両親のいない兄弟の

悲しみが詰まった物語です。

 

弟のために犯罪者になってしまう兄と

その兄のことで

何度も人生の挫折を味わい

生きていく弟の話。

 

兄は刑務所の中から

弟に手紙を出し続けます。

それは、弟の身を案じるような

心配を伝えるような文章ですが、

弟はその手紙に苦しめられ続けます。

 

兄の存在をつきつけられ、

自分のために犯罪者になった兄を

憎む事も出来ずに。

 

弟が最後に出した、兄への手紙。

涙なしには読めませんでした。

 

家族、血の繋がり、

それは時にあたたかく、優しいものですが

私には呪いのようにも

感じるのです。

決して逃げられない呪い。

 

でも、呪いにもなる程の強い絆は

やはり、かけがえのないものなのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

手紙を書く機会は減りましたが

私はやっぱり手紙が好きです。

 

言葉は薄情だけど

手紙には

嘘はないと思うのです。

同じ言葉なのに

口から吐き出す言葉よりもずっと

心が伝わると思うのです。

 

ずっと伝わるからこそ

手紙は凶器にもなり得るのかもしれません。

 

物語の中で

兄は弟に手紙を書き続けることで

自身の心を慰めて

悲しくも幸せな時間だったと思います。

でもそれは自己満足で

弟を傷付ける凶器だったのかもしれません。

 

でも

兄の気持ちを乗せた手紙は

傷付けるだけのものではなかったと

最後の最後に思える

 

そんなラストでした。

 

 

 

今日、私が渡した手紙は

凶器とならずに

あたたかいものになりますように。

 

受け取ってくれた彼の笑顔を見て

私は更に幸せな気持ちになりました。

 

人と人のつながりを

何年会っていなくても

心を近くに感じる幸せを

噛みしめながら今日は眠ろうと思います。

 

 

手紙。

これは書き手と受け手

どちらのためのものなのでしょう。

 

私は

書き手のためのものだと思っています。

だからせめて

ただの自己満足になってしまわないように

人を想って手紙を書きたいと思いました。

 

f:id:shironophoto:20191204164439j:image

 

 

 

1冊目 大きな木

はじめまして。

白です。

 

大人の読書感想文はじめてみました。

 

小さな頃から本が好きでたくさんの本を読んでいたけれど、社会に出てからというものすっかり疎遠になってしまった読書。最近また活字中毒になりました。

 

30代という年頃になり世間ではまぁ、大人という分類に入るわけですが、それでも尚、私という人間はメンタルがヘラヘラしておりまして。ですが、読書をすることで少しずつ正常に戻っていきます。メンヘラちゃんな話しや本を読めなくなってしまった話は、また別の機会で書きたいのだけれど。

 

今、何か思い悩んで

解決策が見えなくて

不安でいっぱいで

何も手がつけられなくて

前が向けなくて

孤独で

眠れない夜が続いて

携帯を握り締めながら布団で丸くなっている

しんどい思いをしている人がいるならば

 

 

本を読んでみて

 

 

と、言いたいのです。

本を読むことで見えるものや得られるものを、自身の体験談や過去の痛い話を混ぜながら書き綴れたら、とブログを始めてみました。

 

前置きが長くなりましたが最初の一冊目は絵本です。私の1番好きな絵本。星の王子さまと悩みましたが、シルヴァスタイン氏の[大きな木]。

 

この絵本との出会いは20代が始まったばかりの就職もせずにフラフラしていた時。地元の小さなレストランでアルバイトをしながら、実家から徒歩五分の場所にアパートを借りて貧乏一人暮らし。家族との折り合いが悪く、やさぐれていた時期でした。私はとにかく恋愛体質で、常に愛を求めて身体を安売りしていたメンヘラちゃんでした。

そんな時に出会った1人の男性。彼は私よりずっと歳上のシェフさんでした。シェフの料理がとても好きで、私は彼に惹かれていきます。彼には恋人がいて、それでも若い頃の私はお構いなしに彼にアプローチを続けました。

 

そんな彼に言われた言葉は今でも忘れられません。

 

白はセックスしなきゃ好きになってもらえないって

そんな風に考えてる。

そんなことしなくても

僕は君のことが好きだよ。

 

恋人が聞いたら発狂しそうなセリフです。自分の恋人がこんなこと女性に言っていたら、私はきっと苦しむ。笑 彼の言う『好き』という言葉は恋人への好きとは全く違って、1人の部下への思いやりのある言葉だったんだと、今ならそう思えますが。

でも、私にとっては新鮮過ぎるその言葉で、より一層彼を好きになりました。

そんな彼から勧められたのが[大きな木]でした。

やっと本の話です。

 

翻訳をあの有名な村上春樹さんもしてますが、私は最初の本田錦一郎さんの方が好きです。

この物語の1番最後の言葉

『but not really』

この翻訳が大きく違うのです。

 

どちらが好きかを誰かとゆっくり語り合いたくなります。

 

 

[大きな木]は1964年、私が生まれるよりもずっと前にアメリカで出版された絵本です。本とは不思議なものです。自分が生まれるよりもずっと昔の、会った事もない人の言葉や思想に触れられるのです。私はそれを感じることで、孤独感が薄れていきます。シルヴァスタイン氏の言葉を、直接聞いたような気持ちになるのです。

この絵本で語られる内容は、きっと読む人によって解釈が変わると思います。

 

大きな木が与え続ける愛。

受け取る少年。

少年の成長とともに

木が与えるものは大きくなり

最後は切株になってしまう大きな木。

その切株に疲れて座る

少年だった年老いた男。

 

これは親から子への愛でしょうか。

早くに両親を亡くし、親への憧れと執着に苦しんでいた私にとって、この絵本で描かれる愛こそ私が欲しかったもののように感じていました。

 

私は当時、木は幸せだったのだと思っていました。幸せでなくては、自分が困るからです。そんな存在がきっと世界のどこかにいるのだと、信じて疑っていなかったからです。この絵本を勧めてくれたシェフは、私にとって大きな木でした。ただひたすらに、私に与え続けてくれる存在でした。

彼がどういう意図でこの絵本を渡してくれたのかは

今となっては分かりません。いつか聞いてみたいものです。

 

 

そして30代になり価値観も変わり、最近になって改めて読んでみました。

 

木は幸せだったのでしょうか。

少年は幸せだったのでしょうか。

無償の愛とは

こんなにも悲しいものなのでしょうか。

 

私は誰かに

何かを与え続けることで

本当に幸せになれるのでしょうか。

自分の身を削ってまで。

 

当時、与え続けられただけの私は

さて、幸せだったのでしょうか。

 

彼は大きな木のようになりたいと言っていましたが

果たして本当なのでしょうか。

 

疑問ばかりが残りながら、愛というテーマを考えさせられる一冊でした。

愛とは与え続けること。

見返りを求めないこと。

『愛とは』

沢山の人がその答えを文章にするけれど、それでもいつまでも、凡人な私には答えの出せない謎なのです。

 

この絵本の中で、与え続け、少年を愛し、木が身を削る姿の描写を今はとても悲しいと感じるのです。そしてそこに腰をかける年老いた男が、まるで自分のような気がして、私の中にある罪悪感を刺激するのです。

でも例えば、子を持つ親になれば、この感想すらまた変わるのかもしれません。

シルヴァスタイン氏はどちらを思いながら、この絵本を描いたのでしょうか。

 

 

『but not really』

 

 

これをどう訳すのか。

そんなことを考えながら眠りにつくことはなんとも有意義な時間な気がするのです。

 

f:id:shironophoto:20191203012049j:image