1冊目 大きな木
はじめまして。
白です。
大人の読書感想文はじめてみました。
小さな頃から本が好きでたくさんの本を読んでいたけれど、社会に出てからというものすっかり疎遠になってしまった読書。最近また活字中毒になりました。
30代という年頃になり世間ではまぁ、大人という分類に入るわけですが、それでも尚、私という人間はメンタルがヘラヘラしておりまして。ですが、読書をすることで少しずつ正常に戻っていきます。メンヘラちゃんな話しや本を読めなくなってしまった話は、また別の機会で書きたいのだけれど。
今、何か思い悩んで
解決策が見えなくて
不安でいっぱいで
何も手がつけられなくて
前が向けなくて
孤独で
眠れない夜が続いて
携帯を握り締めながら布団で丸くなっている
しんどい思いをしている人がいるならば
本を読んでみて
と、言いたいのです。
本を読むことで見えるものや得られるものを、自身の体験談や過去の痛い話を混ぜながら書き綴れたら、とブログを始めてみました。
前置きが長くなりましたが最初の一冊目は絵本です。私の1番好きな絵本。星の王子さまと悩みましたが、シルヴァスタイン氏の[大きな木]。
この絵本との出会いは20代が始まったばかりの就職もせずにフラフラしていた時。地元の小さなレストランでアルバイトをしながら、実家から徒歩五分の場所にアパートを借りて貧乏一人暮らし。家族との折り合いが悪く、やさぐれていた時期でした。私はとにかく恋愛体質で、常に愛を求めて身体を安売りしていたメンヘラちゃんでした。
そんな時に出会った1人の男性。彼は私よりずっと歳上のシェフさんでした。シェフの料理がとても好きで、私は彼に惹かれていきます。彼には恋人がいて、それでも若い頃の私はお構いなしに彼にアプローチを続けました。
そんな彼に言われた言葉は今でも忘れられません。
白はセックスしなきゃ好きになってもらえないって
そんな風に考えてる。
そんなことしなくても
僕は君のことが好きだよ。
…
恋人が聞いたら発狂しそうなセリフです。自分の恋人がこんなこと女性に言っていたら、私はきっと苦しむ。笑 彼の言う『好き』という言葉は恋人への好きとは全く違って、1人の部下への思いやりのある言葉だったんだと、今ならそう思えますが。
でも、私にとっては新鮮過ぎるその言葉で、より一層彼を好きになりました。
そんな彼から勧められたのが[大きな木]でした。
やっと本の話です。
翻訳をあの有名な村上春樹さんもしてますが、私は最初の本田錦一郎さんの方が好きです。
この物語の1番最後の言葉
『but not really』
この翻訳が大きく違うのです。
どちらが好きかを誰かとゆっくり語り合いたくなります。
[大きな木]は1964年、私が生まれるよりもずっと前にアメリカで出版された絵本です。本とは不思議なものです。自分が生まれるよりもずっと昔の、会った事もない人の言葉や思想に触れられるのです。私はそれを感じることで、孤独感が薄れていきます。シルヴァスタイン氏の言葉を、直接聞いたような気持ちになるのです。
この絵本で語られる内容は、きっと読む人によって解釈が変わると思います。
大きな木が与え続ける愛。
受け取る少年。
少年の成長とともに
木が与えるものは大きくなり
最後は切株になってしまう大きな木。
その切株に疲れて座る
少年だった年老いた男。
これは親から子への愛でしょうか。
早くに両親を亡くし、親への憧れと執着に苦しんでいた私にとって、この絵本で描かれる愛こそ私が欲しかったもののように感じていました。
私は当時、木は幸せだったのだと思っていました。幸せでなくては、自分が困るからです。そんな存在がきっと世界のどこかにいるのだと、信じて疑っていなかったからです。この絵本を勧めてくれたシェフは、私にとって大きな木でした。ただひたすらに、私に与え続けてくれる存在でした。
彼がどういう意図でこの絵本を渡してくれたのかは
今となっては分かりません。いつか聞いてみたいものです。
そして30代になり価値観も変わり、最近になって改めて読んでみました。
木は幸せだったのでしょうか。
少年は幸せだったのでしょうか。
無償の愛とは
こんなにも悲しいものなのでしょうか。
私は誰かに
何かを与え続けることで
本当に幸せになれるのでしょうか。
自分の身を削ってまで。
当時、与え続けられただけの私は
さて、幸せだったのでしょうか。
彼は大きな木のようになりたいと言っていましたが
果たして本当なのでしょうか。
疑問ばかりが残りながら、愛というテーマを考えさせられる一冊でした。
愛とは与え続けること。
見返りを求めないこと。
『愛とは』
沢山の人がその答えを文章にするけれど、それでもいつまでも、凡人な私には答えの出せない謎なのです。
この絵本の中で、与え続け、少年を愛し、木が身を削る姿の描写を今はとても悲しいと感じるのです。そしてそこに腰をかける年老いた男が、まるで自分のような気がして、私の中にある罪悪感を刺激するのです。
でも例えば、子を持つ親になれば、この感想すらまた変わるのかもしれません。
シルヴァスタイン氏はどちらを思いながら、この絵本を描いたのでしょうか。
『but not really』
これをどう訳すのか。
そんなことを考えながら眠りにつくことはなんとも有意義な時間な気がするのです。